「石のまくらに」(村上春樹 著『一人称単数』より)を読んで

はじめに
エティセン(元気ですか)? Adjoaです。
先日『一人称単数』を読みました。この本は、村上春樹氏による短編集です。普段なら1冊につき1つ読書記録を書いているのですが、この本は短編集なので、1編ずつ記録をつけていこうと思います。本日は1作目「石のまくらに」の感想をこちらに記録します。
※本記事にはネタバレが含まれます。
「石のまくらに」概要
「僕」がバイト先で一緒だった女性から、彼女が作成したという短歌集が送られてくる。僕はその歌集が送られてきてからすぐには開く気にならず、1週間後に初めてページをめくる。しかし彼女のつくった短歌のいくつかは、僕の心の奥に届く何かしらの要素を持ち合わせており、不思議なほど深く僕の心に残った。
感想
村上春樹氏の小説はこれまで大体読んできましたが、短編集は今回初めて読みました。短編も長編と同じように彼の素晴らしさに溢れた世界でした。彼の小説を読むといつも「芸術作品だな」と思うのですが、今回もそうでした。私は読書家と言えるほど多くの本を読んではいませんが、これまで他の作家さんの本を読んで「面白い」とは感じても、芸術だと感じたことはありません。
彼の小説は面白いだけでなく、独特の言い回し、言葉の選び方、世界観に魅力を感じます。今回の『石のまくらに』は短歌を作る女性と、彼女の詠む短歌が物語の中心となっていますが、主人公の「僕」が彼女の顏も名前も思い出せないという匿名性が不思議な世界観を作り出し、それがまたこの小説の良さであると感じました。
一部、難しくて何度読み直しても全く理解できない文章がありました。
それでも、もし幸運に恵まれればということだが、ときとしていくつかの言葉が僕らのそばに残る。彼らは夜更けの丘の上に登り、身体のかたちに合わせて掘った小ぶりな穴に潜り込み、気配を殺し、吹き荒れる時間の風をうまく先に送りやってしまう。そしてやがて夜が明け、激しい風が吹きやむと、生き延びた言葉たちは地表に密やかに顔を出す。彼らはおおむね声が小さく人見知りをし、しばしば多義的な表現手段しか持ち合わせていない。それでも彼らには証人として立つ用意ができている。正直で公正な証人として。しかしそのような辛抱強い言葉たちをこしらえて、あるいは見つけ出してあとに残すためには、人はときには自らの身を、自らの心を無条件に差し出さなくてはならない。そう、僕ら自身の首を、冬の月光が照らし出す冷ややかな石のまくらに載せなくてはならないのだ。
『一人称単数』(村上春樹 著)P23
この文章の意味を調べようかとも思いましたが、「これは芸術作品だから、読む人によってそれぞれの解釈があって良いのだろう、理解できなくても良いのだろう」と思い、あえて意味を検索することはやめておきました。