与えること=善いことor悪いこと?ガーナでの経験から考えた私の答え

はじめに
オホティセン(元気ですか)? Adjoaです。私は、2014~2017年までの2年6ヵ月間、青年海外協力隊としてガーナに派遣されていました。
ガーナでは「お金ちょうだい」と、お金に始まり、「それちょうだい」と、身に付けているものを何でもかんでもほしい、と言われることがとても多かったです。当時の私は、たとえそれがいらないものでも、基本的にただであげるということをしませんでした。果たしてそれは良いことだったのか。悪いことだったのか。
本記事では、与えることの善し悪しについて、私の考えを述べたいと思います。
与えること=善いことor悪いことの議論
当時の私もそうでしたが、青年海外協力隊の仲間のほとんどが「与えること=悪いこと」の認識でした。
ガーナ(アフリカ諸国)では、隊員が配属先に行くとまず「君は何を持ってきてくれたんだ?」と問われることが多いです。これは、過去に先進国がODAなどで道路や学校などを無償提供してきたからです。先進国から人がやってくる。彼らにとってそれは、何かを与えてくれることを意味するのです。そのため、「いつも誰かが何かを与えてくれると思っている→自分の力で成長しようとしない→いつまで経っても途上国→ものを与えることは悪!」と考える日本人が多いのです。
しかし、本当に与えることは悪いことだったのでしょうか? ガーナから離れて4年。今でも事あるごとに、そのことを考えています。
ガーナでは、与えること=善
キリスト教の教えも手伝ってか、ガーナでは「与えること=善」と考えられていました。
私の暮らしていたガーナ南部では敬虔なキリスト教徒が多く、毎週水曜日、学校ではお祈りの時間がありました。お祈りの際、生徒たちは学校に寄付をします。そして毎週日曜日、人々は教会に行き寄付をします。みんなお金がないにも関わらず、です。
今を生きるガーナ人
日本と比較すると、ガーナでは交通事故も多く、病気で亡くなる人も多いです。明日亡くなってもおかしくない世界では、今を幸せに生きることが何よりも大切です。そんな彼らにとって「今お金を与えてしまったら、あなたの未来を壊してしまうかもしれません。だからお金はあげません」という理屈はまったく通用しないのです。
今目の前にいる人が自分に与えてくれること。それが彼らにとっての幸せだったのではないか。最近ではそう思います。
Adjoaの出した結論
本当に必要な人には与える。曖昧で、結論と言い難いような答えですが、それが私の結論です。
郷に入っては郷に従え。日本では良いと思われていることでも、ガーナで悪いとされていることはすべきではありません。「与えること=善」とされている国であれば、たとえ日本人が「悪いこと」と考えることでも、すべきだったと思います。つまり、欲する者には与えるべきだった、と。
ただし、何でもかんでもあげれば良い、というものではありません。その人の人生を台無しにしてしまうほどの甘やかしは良いこととは言えません。学費が払えなくて学校を辞めてしまう、お金がないから病院に行けない、というように、お金がなくて本当に困っている人には与える、ということです。「彼らの人生を良い方向に進めるお手伝い」程度に与えることができたら、お互いにとって1番幸せなことです。
あとは日本でもやるように、親切にしてもらったお礼、なんていうのは、悩むまでもなく良いことです(当時の私はそれすら悩んでいましたが…)。
与えることの善し悪しの判断は人それぞれ。だから、あなたが「与えない」ことを善行と信じて与えないことを選ぶのであれば、それで良い。「与える」ことが善行だと思うなら、与えれば良い。私はそう思います。
ご安心ください。ガーナの場合、あなたが「与えない」ことを選んでも、誰かが「与える」ことを選びます(手術の必要な病気にかかっているとか、よっぽどの高額でない限り)。
