夢は変わっても良い~幼少期からの夢の変遷~

はじめに
突然ですが、みなさんの夢は何ですか?その夢は、いつ頃から持っていますか?子どもの頃から、ずっと同じ夢を持ち続けている、という方はいますか?
現在のAdjoaの夢は、3年前くらいから持ち始めているものです。子どもの頃に描いた夢とはかけ離れています。今日は、自分の夢の変遷を、子どもの頃から振り返ってみることにしました。
幼少期からの夢の変遷
保育園時代
ケーキ屋さん/パン屋さん
保育園の卒園式に1人ずつ、将来の夢を宣言するというプログラムがありました。そのときに私が用意していた夢は、ケーキ屋さん。ケーキ屋さんになりたかったわけではありません。周りの女の子たちがみんなそう言っているから、周りに合わせていただけです。式当日は、私よりも前に夢を宣言したお友達の多くが「パン屋さん」と言っていたため、私も急遽「大きくなったらパン屋さんになりたいです」と宣言したことを覚えています。
小学校低学年時代
作家
最寄りの図書館が徒歩5分ほどのところに住んでいた小学校低学年時代。読書とお絵描きが大好きだった私の夢は、もちろん「作家」。放課後や休日に、自宅でよく本を作っていました。文章も挿絵も自分で作っていました。紙をホチキスで止めて、きちんと製本までしていました。
小学校高学年時代
イラストレーター
家が引っ越したことにより、徒歩圏内に図書館がなくなってしまいました。当然、読書の機会も少なくなりました。その結果、私の読む対象は本からマンガに。文章は書き続けていましたが、どちらかというと絵のほうに興味が傾き始めました。その頃には将来の夢は「イラストレーター」になっていました。
中学校時代
途上国の医師
成績の良かった中学校時代。テストの成績はいつもクラスで1、2を争う優等生でした。両親が医療関係の職に就いていたことも影響し、「こんなに勉強ができるなら、将来は医者になって、途上国で医療を受けられずに困っている人のために働きたい」なんてことを考えていました。ちなみに当時、自分が医師として働いている国のイメージはシリアなどの中東でした。
高校時代
理科教員
長野県で最も優秀と言われている進学校に入学した私。同級生はみんな、各中学校で学年トップの成績を収めていた人たち。そんな中で、私の成績は1学年320人中で、いつも300番台でした。「どんなに頑張っても、勝てない。」そう思ってしまった私。勉強に対するモチベーションはダダ下がり。当然、医師になる夢も諦めます。そんなとき、中学校時代に大好きだった理科の「地学」分野のことを思い出します。「将来は地学を勉強して、理科の先生になろう。」そんなわけで、大学は理学部地球科学科を目指すことになりました。
大学時代
システムエンジニア
大学3年生のときに必修科目で受講した、情報処理の授業。それが、プログラミングとの出会いでした。はじめは全く理解できなかった私。特に、「n=n+1」の理解に苦しみました。どうしても数学的に考えてしまい、「n-n=1、それって0=1じゃん!おかしい!」という思考から抜け出すことにとても苦労したことをよく覚えています。同級生と比べても、相当理解の遅かった私ですが、1度わかるようになると「苦労を乗り越えてできたときの喜びってすごい!プログラミングをやり続けたい」と思うようになりました。
ちょうど就職活動をし始めていた私は、もちろんIT企業に絞って就活をしました。ありがたいことに、希望通りにSE職に内定をいただくことができました。
社会人1年目~3年目
夢がない
希望通りの会社に就職したものの、いざ入社してみると、厳しい現実にぶち当たります。「やっぱり私はITが苦手…。」入社1日目から、会社を辞めることしか頭にありませんでした。ところが、やりたいことがわからない。ただ「海外に行きたい」という野望はあったものの、それは夢と言えるほどのものではありません。具体的に何をしたいのかが見えていませんでした。
社会人4年目~5年目
国際協力
夢探しを始めて3年。紆余曲折あって、ようやく自分のやりたいことが見えてきました。それは「途上国で教育を必要としている人の役に立ちたい」という夢。自分でも忘れていた、中学生のときに思い描いていた夢が、思いもよらず再登場します。
友人にその夢を話したところ、「青年海外協力隊が良いんじゃない?」とアドバイスをもらいました。それが青年海外協力隊との出会いでした。友人と別れ、帰宅後すぐに「青年海外協力隊」を検索します。「これだ!私のやりたかったことって、これだよ!」夢を見つけ、ゾクゾクしたことを覚えています。
青年海外協力隊時代
ガーナと関わり続ける
派遣された国は、西アフリカのガーナ。私はガーナを最初から最後まで、心から愛していました。任期終了後もずっとガーナと関わり続けたいと、思っていました。ただ、日々目の前の生活と活動に必死で、帰国後具体的にどうしたい、という夢はありませんでした。
青年海外協力隊任期終了後
JICA専門家
帰国後、任期中に何もできなかった、という悔しさから「力をつけて、いつかガーナでリベンジしたい」という思いが強くなりました。そこで、専門知識をつけてJICAのプロジェクトに参加しようと考えました。私が専門家になれる可能性があるとすれば、やはり前職のIT分野が最有力候補。というわけで、JICAと関係の強いIT企業に就職し、まずはスキルをつけることに決めました。
2社目のエンジニア時代終盤
日本からガーナに貢献する
希望を持って日々仕事をしていたものの、次第に自分の年齢が気になり始めます。私も結構いい歳だし、一体いつになったらガーナに行けるんだろう…。結婚・出産も視野に入れると、これからガーナに長期滞在するのはリスクが高い。そう考えた私は、日本にいても、リベンジとまではいかなくても、ガーナに恩返しをすることはできるのではないか、と思い直します。
そこで、祖父の残した広大な農地と元民宿の大きな家を活かして、「海外から農業実習生を受け入れる施設を作りたい」という夢を持ち始めます。
地域おこし協力隊時代(現在)
模索中・・・
まずは地域で人脈形成をすることが必要と思い、地域おこし協力隊として長野県木曽町で働くことに決めました。実際に暮らしてみると、もともと人間関係が苦手な私には、田舎暮らしは合わないということを痛感しました。
また、技術職を離れたことによって、将来に対する不安が強くなっています。「手に職がなくなったら、仕事がなくなるんじゃないか」と。今は「地域おこし協力隊の任期終了後は、エンジニアに戻りたいな」となんとなく思っています。
ただ、木曽町の環境はとても好きなので、現段階では夢をあきらめてはいません。この町で、自分なりにうまくやっていく方法を見つけ出したいと思っています。
まとめ
これまでの自分の夢を振り返ってみると、10回も夢が変わっていた、という事実に驚きました。とはいえ、すべてが今に繋がっているので、悪いことではないですよね?と、少なくとも私は前向きに捉えています。
夢は、変わっても良い。夢は、持っていなくたって良い。やりたいことはある日突然見つかるものだから。と、私は今までの人生を通して思っています。
この日記が、夢を探している人の参考になれば幸いです。
余談ですが、私は大学時代にパン屋さんでアルバイトをしていました。私が最初に語った夢は、一応叶えることができました。