「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」(村上春樹 著『一人称単数』より)を読んで

はじめに
Etse sen(元気ですか)? Adjoaです。
先日『一人称単数』を読みました。この本は、村上春樹氏による短編集です。普段なら1冊につき1本読書記録を書いているのですが、この本は短編集なので1編ずつ記録をつけていこうと思います。本日は3作目「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」の感想をこちらに記録します。
※本記事にはネタバレが含まれます。
「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」概要
チャーリー・パーカーが8年の時を経て、音楽界に帰ってきた。新しいレコードのタイトルは、「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」。
「僕」が書いた文章が初めて活字になったのが、このレコード批評の文章だった。でも、そんなレコードは存在しない。それは、もしチャーリー・パーカーが1960年代まで生き延びて、ボサノヴァ音楽を演奏していたら…という想定のもとに書かれた文章なのだ。
15年後、そしてさらに何十年も後になって、「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」にまつわる不思議な出来事が「僕」に起こる。
感想
このお話は「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」が中心となっています。この小説を読むまで私は、チャーリー・パーカーという人物を知りませんでした。その類の音楽の知識が全くないこともあり、前の2作と比べると、正直物語のイメージが湧きませんでした。
さて、「僕」がこのレコード批評を書いてから15年後にニューヨークのレコードショップで「Charlie Parker Plays Bossa Nova」というレコードを見つけたものの、そのときには買わず、もう一度お店に行きオーナーに尋ねると「そんなレコードはどこにも存在しない」と言われてしまう。この辺りは村上春樹らしくて良いな、と思いました。不思議な出来事が不思議のまま終わるところが、センス良いな、と感じます。夢の中でチャーリー・パーカーが出てきて、「僕」だけのためにボサノヴァを演奏し、自分の死について語るところなんかも。
総合的に言えば、個人的には前の2作のほうが面白かった、という感想です。