「一人称単数」(村上春樹 著『一人称単数』より)を読んで

はじめに
Etse sen(元気ですか)? Adjoaです。
先日『一人称単数』を読みました。この本は、村上春樹氏による短編集です。普段なら1冊につき1本読書記録を書いているのですが、この本は短編集なので1編ずつ記録をつけています。本日は、本のタイトルにもなっている8作目「一人称単数」の感想をこちらに記録します。
※本記事にはネタバレが含まれます。
「一人称単数」概要
「僕」は普段、仕事でスーツを着ることはない。そんな僕が、珍しくスーツを着てみた。仕事があるわけでも、誰かに会う予定があるわけでもない。それは、ずっと袖を通していないスーツに申し訳ないから、というだけのことだった。
でも、スーツを着てみると、その恰好のまま外出したくなった。しばしスーツで春の宵を散歩する。そのうち、バーに入って読書の続きをしようと思った。行きつけのバーだと「どうしたんですか、今日は?」と聞かれて面倒そうなので、これまで一度も行ったことのないバーに入った。カウンター席でウォッカ・ギムレットを飲みながら読書をしていると、先ほどまで2つ離れた席にいた女性がいつの間にか隣に座っていた。彼女は僕に話しかけた。「そんなことをしていて、なにか愉しい?」と。
僕は家で大人しく映画でも観ているべきだったのだ。
感想
さすが村上春樹! 短編集のラストを飾るに相応しい非常に興味深い作品でした。個人的には『一人称単数』の8作の中で1番面白かったです。
普段スーツを着ない主人公が、なんとなくスーツを着てバーに出かける。バーで出会った女性に喧嘩を売られる。そして店を出ると、春だったはずの外には灰が積もっていて、道行く人々には顔がなく、硫黄色の息を吐いている――。
この物語はどう理解すれば良いのだろう? 何を象徴しているのだろう? そんな謎の残る、難しくて、不吉で、魅力ある物語でした。でも、きっと正解なんてないはず。いや、どんな解釈も正解というべきかもしれません。だって村上春樹氏自身が『ウィズ・ザ・ビートルズ』の中で言っているのですから。「作者がこのように描写するとき、それはどんな象徴的効果を生んでいるでしょう?」みたいな設問に対する回答の正否は、論理的に判断できない、と。
さて、これにて『一人称単数』を読み終えてしまいました。毎晩寝る前に大切に1話ずつ読んできたので、少し寂しい気持ちです。短編は毎日1話ずつ読むにはちょうど良いけれど、やっぱり私は長編小説のほうが好きだなと思いました。