木曽義仲勉強会に参加しました!学んだことまとめ

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はじめに

オホティセン(元気ですか)? Adjoaです。私は現在、長野県木曽町の地域おこし協力隊として活動しています。先日(2021/12/15)、木曽の英雄「木曽義仲」についての勉強会に参加しました。そこで学んだ内容をこちらに記録します。

木曽義仲のことを全然知らず、(そこまで詳しい情報はいらないけれど)ちょっと知りたい、という方のご参考になれば幸いです。

講座の概要

  • 日時 :2021年12月15日(木) 13:30-15:00
  • 講師 :西川かおり先生
  • 内容 :木曽義仲の基本情報
  • 場所 :義仲館

1. 木曽義仲ダイジェスト

木曽義仲(源義仲)は、1154〜1184年に生きた平安末期の武将です。

義仲の父は源義賢。義賢は、義仲が2歳のときに源頼朝の兄である源義平に討たれました。その際、義仲は母とともに信濃(現:長野県)に逃れ、中原兼遠のもとで育てられました。

治承四年(1180年)、義仲は以仁王の令旨に呼応して挙兵しました。

横田河原合戦、倶利伽羅合戦をはじめ、平家軍との戦いを制した義仲は寿永二年(1183年)7月に入京し、平家を西国へと追いやりました。

ところがその後、義仲は京都で政治を握るご白河法皇に疎まれてしまいます。そして同年11月、法皇が集めた軍勢との間に法住寺合戦が起こります。

戦いに勝利した義仲は摂関家の藤原基房を通して政治に関わり、平家との和平交渉を成立させます。翌年、平家が都に入るのを待つ間に征東大将軍となったものの、源頼朝の命を受けた範朝・義経軍が都に押し寄せ、討たれてしまいます。

こうして義仲は31年の短い生涯に幕を閉じます。

2. 世間で義仲が悪者扱いされている訳

世間では「義仲=山賊、悪者」のようなイメージを持つ人が多いそうです(私は知りませんでしたが…)。ところがそれは、史実とは異なるようです。ではなぜそのようなイメージがついてしまったのでしょうか? それは、『新・平家物語』の影響によるものだそうです。

『新・平家物語』が世間で大人気を博した理由の一つが、キャラが立っているという点。そしてその中で「悪役」に割り当てられてしまったのが、義仲だったのです。

本来の『平家物語』に描かれている義仲は悪者ではないのです。これを『新・平家物語』で読者にわかりやすい描写にしたことで、「義仲=悪者」のイメージが世間に浸透してしまった、というわけです。

3. 義仲の優れた点

非戦

義仲が自ら進んで起こした戰というものはありません。義仲が戦ったのは、救援を求められた場合(市原)や、攻め込まれた場合(横田河原・北陸合戦・義仲の最期)、命を受けた場合(水島・妹尾)、そして挑発された場合(法住寺)です。

『平家物語』の一節に、以下のような義仲のセリフがあります。

平清盛が政治を思うままにし世が乱れました。私は源氏の血を受け継ぐものとして見過ごすことは出来ず小さな力ですが兵をあげました。

それは赤子が貝で海を測ろうとするほど小さく、カマキリが車と戦おうと斧を振り上げるような、笑いものになるほど愚かなことかもしれません。

しかし私は戦います。己のためではなく、人々のため、秩序のために。

平家物語・願書

このセリフから、自分の利益や出世のために戦う欲は義仲にはなかったと考えられます。

人材登用

義仲は、優れた才能を持つ者は男女を問わず採用した人物と言われています。巴御前、葵御前、山吹御前らが代表的な例です。女性の武士は、源平合戦においては他の陣営にはいません。

また、家臣のアイディアにも耳を傾け、広く登用しています。

感想

「義仲ってどんな人ですか?」

木曽の人々にそう尋ねると、もれなく大変な目に遭います(笑)。それは皆、義仲への愛が強すぎて、話が止まらなくなるからです。しかも「基本的な情報は知っていて当然」と思っているのか、いきなりマニアックな話をされることもしばしば。

なので今回の勉強会では、初めて義仲の生涯をざっくり把握することができました。また、義仲が悪者扱いされている理由も、木曽で義仲が英雄扱いされている理由も、よくわかりました。歴史の苦手な義仲初心者にも大変わかりやすく、勉強になりました。

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